かくかくしかじか 〰️50才からのワタシノクラシ

50才になりこれまでと違って心身の変化をはっきりと感じるようになり、これからは素敵な暮らしでなくても丁寧な暮らしでなくても自分が納得できる心も体も楽になれる暮らしを目指して日々奮闘中

父の命日

今日3月11日は東日本大震災が起こった


日でありますが


震災と同じく私には忘れられない


父が亡くなった、初めて人の死というもの


に向き合った日でもあります。



母との別れは9才の時、学校に行ってる間に


自宅で倒れ、連絡を受け急いで私が帰った


時には既に亡くなっていました。



父は再婚することなく、私が結婚してからは


兄と二人で暮らしていましたが


兄も殆ど家には居なかったので


一人暮らしも同じという状態でした。


寡黙な人で一人を好む人でもあり



また、嫁いだ娘に迷惑をかけまいと


助けを求めてくる人でもありませんでした。



気を遣う人で私が様子を見に帰れば


かえって気を遣わせ疲れさせてしまうので


私は月1、2回様子を見に帰る程度でした。


父が風邪で寝込むという記憶も私にはなく


いつ体調を聞いても特に問題ない、との返答ばかりで


細いながらも健康な人だと思っていました。



亡くなる3年程前から肺の調子が悪く


入院する事が2回あったのですが


COPDとの診断で様子見だと言われて


健康管理をしっかりしなくてはと思っていました。



そんな父から兄は仕事だからと


「病院に連れて行って欲しい」と


連絡がありました。呼吸が苦しく一人で動けないと。



兄が先に近所のかかりつけに連絡をしてくれて


そこから「すぐ以前入院した大きな病院へ


直接行くように」と言われた、頼むと。



タクシーで病院に向かいまはず呼吸器内科へ。


その先生より消化器内科へ行くように言われ


検査の結果、


「大腸がんから肺と肝臓に転移していて


すでに末期、手術も出来ない」と。


即、緩和ケアになりました。


入院してから2日位はまだ会話も出来た父。


「お父さんは何もしてやれなかった、


苦労ばかりかけた、


お母さんにもおばあちゃんにもきちんと


した事出来なかった、だから僕は


葬式はしなくていい」


涙が止まりませんでした。


父を恨んだ事なんて一度もないのに、


恨む事なんて一つもないのに


そんな風にずっと思ってたなんて。



入院当日モルヒネを拒否していた父が3日後


位には呼吸の苦しさから打って欲しいと訴え


徐々に濃度を上げていっても


それでも楽になることがなくひたすら


苦しむ父、


父の状況から最終的に強い睡眠薬で


最期を待つという選択になりました。




入院から13日たった3月11日午前、父は


息を引き取りました。


苦しさを訴えてからまさかこんなにも


早く進行してしまうなんて思ってもいません


でした。


ついこの間、普通に会話出来てたのにと


命の儚さにただただ虚しさが込み上げて


きました。


3月10日は私の長男の誕生日、


12日は私の兄(長男)の誕生日


2人の誕生日を避け間の11日に父(長男)


が亡くなる。


神秘的なものを感じました。




私こそこんな娘でごめん、


お父さんとの関わりは少なかった


けれど私を思ってくれていることは


伝わっていました。


本当にありがとう



毎年お墓に向かって語りかけています。

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